教育大変革の時 ~Part1 日本の詰込み教育~

教育というものを眺めてみると、国の未来が見えてくる。

それは少し考えてみれば当然で、教育とは子供を育てることであり、それは未来に活躍する人間を育てるということだからだ。

それでは現在の日本の教育とはいったいどのような現状にあるのだろうか。日本の教育の母体を眺めてみることで、だんだんと見えてくる。

まず大事なことは、日本には「塾」という文化が強く根付いているということである。欧米諸国の様子を考えてみると、塾という文化はほとんど存在しない。教育は、家と学校が行うものであるとされているのである。実際、塾という言葉を英語やフランス語など多言語で説明することはなかなか難しいのである。英語には"cram school"という訳が存在し、これは本当に的を得た訳だと思う。しかしこれは異国からみた日本の塾の印象を的確に表したものであって、そこにはある種の揶揄さえも含意しているように思う。本来あるべき塾の姿を適切に表現したものではない。

それでは日本においての塾はどうだろうか。東大や京大、早慶をはじめとする有名大学に合格している人たちのほとんどは、塾に通って合格のために勉強している。それも数か月とかいう規模ではなく、最低でも1年間、2,3年間塾に通うということも普通にある。一部の塾では中高6年間通い続ける、というような塾さえある。日本では「受験戦争」とまで言われるほどに、受験というものが過酷なものとなっており、それを日本の塾業界が後押ししている。

青春期、人間にとってとても貴重なこの時期に、日本は子供たちに一体何をやらせたいのだろうか。その答えはまさに、先ほど取り上げた

 cram school

という訳語に凝縮されている。つまり日本の塾というのは、詰込み教育のことなのだ。日本の教育の圧倒的強みであり、脆さでもあるのが、この詰込み教育である。

詰込み教育とはどういうことか、それは先人達の築いた、膨大な知識をひたすら頭に詰め込んでいく教育のことである。そこには絶対的に揺るぎのない「模範解答」が存在する。与えられた情報について吟味し、そこに批判的な目を向けるのではない。与えられた答えを信じ、それにただひたすら着実に従っていく、そういう教育である。日本人はかつてから模倣するという技に長けている民族である。西洋の最先端技術を、そっくりそのまま模倣し続けることで文明開花を果たしている。日本という素朴な島国が、広い世界においてそれなりの国際社会的な位置を確立することができた。その根本的な成功の鍵は、日本に根付いている「正しい答えを模倣する」という文化にあるといえるだろう。

少し話が逸れたが、つまり詰込み教育とは、そうした日本の成功の秘密を形に表したようなものなのである。だがそうした詰込み教育が、もはや通用しない時代に来ているのではないか、というのが今回の記事の主題ということになる。

日本の詰込み教育が今後うまくいかない、と考える理由は主に2つある。
一つ目は、膨大な情報に対処しきれないことである。
教科書を想像してみるとわかりやすいが、教科書に載る内容は年々どんどん増加していく。誰もが情報を発信できるようになり、価値のある情報が多くの人に共有されるようになってきた。それに伴って、本当に様々な情報が知識として蓄えられていき、それがどんどん教科書に反映されていくわけである。教科書の肥大化は単なる一例に過ぎないが、要は学ぶべき対象が日々肥大化しているということである。日本の詰込み教育では、そうした膨大な情報をただひたすら知識として詰め込んでいくだけであり、そうした知識をどれだけ役立てることができるかというのには大きな疑問が残る。また情報が簡単に得られる時代にあっては、ただ知識として情報を知っているということよりも、必要な情報を必要な時に探しだす能力のほうが大事であるといえる。知識としての情報はそれだけでは正確性に欠けるし、情報処理の能力がもっと必要になってくるだろう。ただ無批判に情報を取り入れる詰込み教育には、危険な予感がしてならない。

2つ目の理由は、国際社会で生き抜くための対話能力を蔑ろにしていることである。
国際社会で生き抜くために大事なことは、確固たる自己をもつことである。コミュニケーション能力、ディベート能力、プレゼン能力など、とにかく自己を表現し続け対話し続けなければならない。様々文化を知り、様々な価値観を知ることで、世の中をもっと知ることができる。詰込み教育にさらされることは、自分を殺して先人の教えをそのまま受け入れることである。そこには確固たる自己を確立するプロセスは存在しない。それはそのまま対話能力の欠如を意味し、グローバル化社会での没落という結果を招くことになる。

結論として、日本の詰込み教育は、日本を大きく発展させてきた。しかしこれからの時代においては最適な教育の在り方ではないとえるであろう。次回のPart2では、日本の大手塾業界の実態に迫りたいと思う。

追記:かくいう私も、私立の中高一貫校で学び、幼いころから日本の詰込み教育にさらされてきた。しかし逆に日本の教育の欠点に気づき、自らそれを補うように努力してきたという経緯がある。そういう風に考えると、システムというのは完ぺきではなく、ある程度欠陥が存在する方が、人は成長できるのかもしれないとも思う。だから日本の詰込み教育はそのままでいい!ということにはならないが、システムの在り方についてはもっと考える必要がありそうである。
広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中